『鳥飼否宇「生徒会書記はときどき饒舌」
第2話 ミミズの秘密(後編)』
結局、台風13号のルートは南側にそれ、上陸はしなかった。台風一過の青空が広がるなか、いつものメンバーが生徒会室に集まっていた。松山朱音の姿もあった。
「大場さん、昨日はミミズの話をしかけていたよね」岡村さくらが大場心美に微笑みかけた。「続きを聞かせてくれる?」
佐野悠馬が続く。「昨日は松山さんも大場さんもずいぶんミミズにこだわっていたよね」
「わたしはガイドさんからそう聞いただけで、その理由を忘れてしまいました。だから、なぜミミズが重要かという説明は大場さんにお任せします」
「わ、わたしが全部説明するんですか......」
心美が自分を指さしておろおろしていると、浜松大雅がせきばらいをしてから言った。
「大場さんが話しやすいように、昨日の話をまとめておきましょうか。沖縄や奄美では、シイが動物たちの命をつないでいる。その実をリュウキュウイノシシやアマミノクロウサギが食べ、その木の洞(うろ)でケナガネズミやヤンバルテナガコガネが暮らし、その落葉をミミズが食べる。そうでしたよね、大場さん? では、なぜミミズが重要かについてご説明をお願いします」
「うまくまとめてくれて、ありがとうございます」
心美は大雅に軽く頭を下げた。そして、大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「今、浜松くんが言ってくれたように、シイは沖縄や奄美の動物にとって、とても重要です。そして、ミミズもまたとっても重要なんです。ミミズは落葉や微生物(びせいぶつ)を食べて、土を豊かにします。その土があるからこそ、植物は元気に育ちます。そして、ミミズはいろんな動物のエサになります。雑食性のリュウキュウイノシシも、ヤンバルクイナやアマミヤマシギなどの鳥たちも、カエルや一部のヘビ、虫などがミミズを食べています。ミミズはシイと並んで、森を支える最も重要な存在だと思います」
心美はそう言うと、両手を顔の前でパタパタさせて、上気したほおに風を送った。そんな心美を横目で見ながら、北原翔が文句をつけるような口調で言った。
「でもさ、ミミズってどこにでもいるじゃん。沖縄や奄美の固有種でもないし、生物多様性って意味では、それほど重要とは思えないんだよね」
「それは違います!」心美が両手に握ったこぶしを上下にふって抗議(こうぎ)する。「どうしてもそこにしかいない固有種や数の少ない希少種が注目されてしまいますが、それらの生き物を支えているのは、シイとかミミズとか、どこでもいる共通種であり、数の多い普通種なんです。たくさんの普通種がいる状態こそが、重要なんです」
心美の力強い主張に、翔はたじたじとなった。タブレット端末で検索をしていた大雅が「これちょっと見て!」と声を上げた。画面に大きなミミズが表示されていた。
「ヤンバルオオフトミミズだそうです。ミミズもちゃんと固有種がいるんですね」
「すげえな」翔が巨大ミミズに目をやった。「ミミズをバカにして、ごめん」
いつしかさくらは大きな目を輝かせていた。
「普通種も希少種も、共通種も固有種もいるから、生物が多様なのね。わかる気がする。だから、沖縄と奄美は世界自然遺産になったわけか。うんうん」
納得したさくらが小刻みにうなずいていると、朱音がおっとりと口をはさんだ。
「たしかガイドさんが、ホットスポットって言っていましたわ」
「ホットスポット?」悠馬が聞き返す。
「生き物がたくさんいる場所をそう呼ぶんですって。そうですよね、浜松くん」
朱音からいきなり話を振られた大雅は、あわてて検索した。
「ありました、生物多様性ホットスポット。ふむふむ、地球規模での生物多様性が高いにもかかわらず、人類による破壊(はかい)の危機に瀕(ひん)している地域、だそうです。へえ、世界に36か所あるんですね」
「ホントだ」悠馬が画面をのぞき込む。「アンデス、カリブ海、西アフリカ、インドネシア周辺......やっぱり、熱帯が多いね」
「どれどれ」翔も顔を寄せた。「そうでもないぞ。ニュージーランド、地中海、ヒマラヤなんかも入ってるし。あれ、沖縄も奄美も入ってないじゃん」
大雅が画面の地図を指さした。
「いや、よく見てください。沖縄や奄美だけでなく、日本全体がホットスポットになっているんですよ。そうなのか、日本は世界的に見たら、生物多様性に富んだ地域なんですね」
「そうなんです」心美がうなずいた。「日本は先進国のなかで国全体が生物多様性ホットスポットにすっぽり収まっている唯一(ゆいいつ)の国なんです」
「そっか」さくらが再びうんうんとうなずいた。「日本は決して大きな国ではないけれど、森ばかりだもんね。本州から九州にかけては温帯だけど、沖縄は亜熱帯、北海道は亜寒帯。気候が違えば生える植物が変わって、森が違う感じになるし、そこに暮らす動物のメンツも変わるのね」
「はい」心美が眼鏡を揺らしてうなずいた。
「山菜とか木の実とかきのことか、日本人は昔から豊かな山の幸に恵まれてきました。シカやイノシシを狩って食べてきましたし、いろんな種類の木材は用途(ようと)に応じて使い分けられました。たくさんとれるスギは家とか船に、高級なヒノキは神社などに、やわらかいキリはたんすなどの家具にという具合に」
「多様な森は日本人の生活や文化と深くかかわってきたってわけね」
さくらが理解を示すと、翔が口をとがらせて意見を述べた。
「海も忘れちゃいけないんじゃないの。なんてったって、日本は島国なんだから」
「そう思います」と心美。「魚、エビ、カニ、貝、海藻(かいそう)......海にもいろんな生き物がいます。日本人は海の幸にも恵まれてきました。これも日本が生物多様性ホットスポットだったからだと思います」
「生物多様性とかホットスポットとか、難しいことはよくわかんないけどさ、日本人は豊かな自然とともに暮らしてきたってことだろ」
ざっくりまとめる悠馬に、心美がまた眼鏡を揺らしてうなずいた。
「わたしたちにとって当たり前のことが、ほかの国の人から見たら、恵まれているのかもしれません」
「ねえ、見てよ」大雅が画面に新しい地図を表示した。「日本の生物多様性地図化プロジェクトだって。おもしろそうじゃん」
(日本の生物多様性地図化プロジェクト:https://biodiversity-map.thinknature-japan.com/)
「植物、ほ乳類、鳥類......生き物ごとに、在来種やレッドデータブック記載種(きさいしゅ)がどの辺に多いか表示されるようになっている。ためしに、淡水魚(たんすいぎょ)のレッドデータブック記載種を見てみよう。レッドデータブック記載種というのは絶滅(ぜつめつ)が心配されている生物のことだね」
「お、大阪付近が真っ赤だ」と悠馬。
「淀川(よどがわ)ですね」大雅が眼鏡に手を添えた。「淀川にはワンドがたくさんあって、イタセンパラなどの希少種が多いと聞いたことがあります」
「ワンド?」翔が首をかしげる。「なに、それ?」
「川とつながった池みたいなものだよ。自然にできる場合もあれば、人工的に作る場合もある。川みたいな流れがなくてよどんでいるから、魚や水生昆虫の生息場所として重要なんだ」
「よどんだ場所か。淀川だけに」
翔のジョークは全員にスルーされた。大雅がタブレット端末を操作した。
「次に両生類の在来種を見てみようか」そう言いながら、大雅が操作した。「在来種というのは元々そこに生息している生物のことだね」
「外来種の逆ですね」朱音が言った。「沖縄では外来種のマングースが問題を起こしているそうです」
「お!」悠馬が興味深そうにのぞき込む。「関東の近くが赤くなってるじゃん」
「拡大してみましょう」大雅が地図を拡大した。「八王子市やあきる野市の付近ですね。この辺、意外と両生類が多いんですね」
「武蔵野台地と関東山地のあいだの小高い丘だよね」さくら顔を寄せた。「いとこが八王子に住んでいるので行ったことがあるの。この辺りはわき水も多く、カエルばかりでなくサンショウウオも多いんだって。両生類にとって暮らしやすい環境だっていとこが言ってた」
悠馬が「へえ」と感心したあとで言った。「こうして見てみると、大都市の近くにも案外たくさんの生き物がいることがわかるな」
「そうなんです!」心美がいつになく大きな声を出したので、みんなが驚いて振り向いた。たちまち緊張して真っ赤になる。「あ、すみません」
「だいじょうぶ、落ち着いて」さくらが心美を励ます。「なにが、そうなんです、なの?」
「生き物が多いところというと、日本ではどうしても森や海を思い浮かべがちなんですけど、実は里山にもいろんな生き物がいるんです」
「里山ってどこにある山ですの?」
真顔で質問する朱音に、心美もまじめに対応した。
「山の名前ではありません。人が暮らす集落などに近い低い山、またそんな山に囲まれた田畑や草地、ため池、雑木林などをまとめて里山と呼びます。日常的に人の手が入った山と言ってもいいかもしれません」
「大場さんの説明を聞いていると、おれらの住んでいるS中校区も里山の条件に当てはまりそうな気がするんだけど......」
「そうなんです、そうなんです!」心美がうれしそうにうなずいた。「山の多い日本では、山のふもとまで人が暮らし、農地が広がっています。そういう場所が里山です。首都圏の郊外にも里山はたくさんあります。ここS校区も典型的な里山でした」
「それはわかりましたが、里山に生き物が多いとはどういう意味ですの?」
相変わらずゆったりした口調で、朱音が質問した。
「田んぼがあれば、オタマジャクシとかメダカとかヤゴとか、水にすむ小さな動物が集まります。畑があれば、いろんな虫たちが発生します。するとそれらの小動物や虫をねらって、ヘビやトカゲ、鳥などが集まり、今度はそれらをねらうカラスやタカ、タヌキ、キツネなどが集まります。人が手を入れ続けることで里山の環境はいつまでも変わりません。だから、そこに暮らす生き物たちも安心して子孫を残していけます。里山は生物多様性のゆりかごって呼ばれているんですよ」 「意外と身近なところに多くの生き物がすんでいるんだね。S校区も捨てたもんじゃないな」
悠馬はそう言ったが、心美はわずかに顔をくもらせた。
「でも、そんな里山が今、すごいスピードでなくなっているんです。この前、S校区でツバメのエサが少なくなってきているという話をしました。あれはこの辺も土地開発によって水田やため池がなくなってしまったからです。北原くん、以前はミズカマキリもいたんでしょ?」
いきなり心美に水を向けられ、翔はびっくりしたようだった。
「お......そ、そうだった。ミズカマキリは肉食の昆虫だから、そいつがいるってことはオタマジャクシとかヤゴとか、水のなかにほかの動物がいなくちゃならない。ミズカマキリが暮らすためには豊かな水辺が必要なんだ。オタマジャクシやヤゴは今でも探せばいると思うけど、エサが減ったりすみ家がなくなったりして、ミズカマキリは姿を消したんだと思う」
悠馬がこの前の翔の発言を思い出した。
「でも翔さあ、クマゼミとかクロアゲハは増えたって言ってなかったっけ?」
「それは間違いない。あれっ、環境は必ずしも悪くなったわけじゃないのかな......」
混乱する翔に代わって、心美が言った。
「クマゼミは元々、西日本にいたセミです。それが植木の根っこなどと一緒に幼虫が運ばれて、関東にも広がってきました。温暖化も影響しているかもしれません。クロアゲハはミカン林ができたことで増えた種です。ミカンの害虫ですからね。一見すると、大きくて見栄えのする昆虫が増えたような気がしますが、元からいた里山の昆虫は減っていると思います。それは決していいこととは呼べない気がします」
「でも、だからといって、どうしたらいいのでしょう。ボクたちの手で開発を止めるのは、さすがに難しいというか......」
悲観的な大雅と反対に、さくらは前向きな性格だった。
「ねえ、聞いて! 地元の農家の人に頼んで、S中の田んぼを作ってもらったらどうかしら。新しくできた公園の隣の空き地、昔は水田だったでしょ? 農家の人も高齢化して米作りが大変になったから、いまは放りっぱなしで草ぼうぼうだけど、頼んだら貸してくれるんじゃないかしら。ほんの少しでも田んぼができれば、消えてしまった生き物も戻ってくるかもしれないじゃない!」
「いいと思う!」「賛成です」「やりましょう!」「ミズカマキリを再び!」
悠馬と大雅と心美と翔の声がそろい、ワンテンポ遅れて朱音が「ステキですわ」と言った。
「あ、そうだ。思い出しました!」突然、心美が声を上げた。「松山さんが沖縄のお友達と会えなかった理由がわかった気がします」
「えっ?」一同、びっくりして心美を振り返った。
「松山さんは春休みに会いに行かれたんですよね?」
「そうよ」朱音がこくんとうなずいた。
「わたしたちがいつも見ている桜はソメイヨシノで、3月下旬から4月上旬に満開になりますが、沖縄の桜はカンヒザクラといって、1月下旬から2月上旬にかけて満開になります。だから、『桜の時期に会おう』という約束は、1月下旬から2月上旬の時期を指していたはずなんですよ」
「え、そうなの!」朱音が目を丸くした。「わたくし、なんておバカなんでしょう! 行きます、来年のその時期、必ずもう一度行って、なんとしても再会を果たしますとも!」
いつもおっとりしている朱音が珍(めずら)しくきっぱりと言った。
「大場さん、昨日はミミズの話をしかけていたよね」岡村さくらが大場心美に微笑みかけた。「続きを聞かせてくれる?」
佐野悠馬が続く。「昨日は松山さんも大場さんもずいぶんミミズにこだわっていたよね」
「わたしはガイドさんからそう聞いただけで、その理由を忘れてしまいました。だから、なぜミミズが重要かという説明は大場さんにお任せします」
「わ、わたしが全部説明するんですか......」
心美が自分を指さしておろおろしていると、浜松大雅がせきばらいをしてから言った。
「大場さんが話しやすいように、昨日の話をまとめておきましょうか。沖縄や奄美では、シイが動物たちの命をつないでいる。その実をリュウキュウイノシシやアマミノクロウサギが食べ、その木の洞(うろ)でケナガネズミやヤンバルテナガコガネが暮らし、その落葉をミミズが食べる。そうでしたよね、大場さん? では、なぜミミズが重要かについてご説明をお願いします」
「うまくまとめてくれて、ありがとうございます」
心美は大雅に軽く頭を下げた。そして、大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「今、浜松くんが言ってくれたように、シイは沖縄や奄美の動物にとって、とても重要です。そして、ミミズもまたとっても重要なんです。ミミズは落葉や微生物(びせいぶつ)を食べて、土を豊かにします。その土があるからこそ、植物は元気に育ちます。そして、ミミズはいろんな動物のエサになります。雑食性のリュウキュウイノシシも、ヤンバルクイナやアマミヤマシギなどの鳥たちも、カエルや一部のヘビ、虫などがミミズを食べています。ミミズはシイと並んで、森を支える最も重要な存在だと思います」
心美はそう言うと、両手を顔の前でパタパタさせて、上気したほおに風を送った。そんな心美を横目で見ながら、北原翔が文句をつけるような口調で言った。
「でもさ、ミミズってどこにでもいるじゃん。沖縄や奄美の固有種でもないし、生物多様性って意味では、それほど重要とは思えないんだよね」
「それは違います!」心美が両手に握ったこぶしを上下にふって抗議(こうぎ)する。「どうしてもそこにしかいない固有種や数の少ない希少種が注目されてしまいますが、それらの生き物を支えているのは、シイとかミミズとか、どこでもいる共通種であり、数の多い普通種なんです。たくさんの普通種がいる状態こそが、重要なんです」
心美の力強い主張に、翔はたじたじとなった。タブレット端末で検索をしていた大雅が「これちょっと見て!」と声を上げた。画面に大きなミミズが表示されていた。
「ヤンバルオオフトミミズだそうです。ミミズもちゃんと固有種がいるんですね」
「すげえな」翔が巨大ミミズに目をやった。「ミミズをバカにして、ごめん」
いつしかさくらは大きな目を輝かせていた。
「普通種も希少種も、共通種も固有種もいるから、生物が多様なのね。わかる気がする。だから、沖縄と奄美は世界自然遺産になったわけか。うんうん」
納得したさくらが小刻みにうなずいていると、朱音がおっとりと口をはさんだ。
「たしかガイドさんが、ホットスポットって言っていましたわ」
「ホットスポット?」悠馬が聞き返す。
「生き物がたくさんいる場所をそう呼ぶんですって。そうですよね、浜松くん」
朱音からいきなり話を振られた大雅は、あわてて検索した。
「ありました、生物多様性ホットスポット。ふむふむ、地球規模での生物多様性が高いにもかかわらず、人類による破壊(はかい)の危機に瀕(ひん)している地域、だそうです。へえ、世界に36か所あるんですね」
「ホントだ」悠馬が画面をのぞき込む。「アンデス、カリブ海、西アフリカ、インドネシア周辺......やっぱり、熱帯が多いね」
「どれどれ」翔も顔を寄せた。「そうでもないぞ。ニュージーランド、地中海、ヒマラヤなんかも入ってるし。あれ、沖縄も奄美も入ってないじゃん」
大雅が画面の地図を指さした。
「いや、よく見てください。沖縄や奄美だけでなく、日本全体がホットスポットになっているんですよ。そうなのか、日本は世界的に見たら、生物多様性に富んだ地域なんですね」
「そうなんです」心美がうなずいた。「日本は先進国のなかで国全体が生物多様性ホットスポットにすっぽり収まっている唯一(ゆいいつ)の国なんです」
「そっか」さくらが再びうんうんとうなずいた。「日本は決して大きな国ではないけれど、森ばかりだもんね。本州から九州にかけては温帯だけど、沖縄は亜熱帯、北海道は亜寒帯。気候が違えば生える植物が変わって、森が違う感じになるし、そこに暮らす動物のメンツも変わるのね」
「はい」心美が眼鏡を揺らしてうなずいた。
「山菜とか木の実とかきのことか、日本人は昔から豊かな山の幸に恵まれてきました。シカやイノシシを狩って食べてきましたし、いろんな種類の木材は用途(ようと)に応じて使い分けられました。たくさんとれるスギは家とか船に、高級なヒノキは神社などに、やわらかいキリはたんすなどの家具にという具合に」
「多様な森は日本人の生活や文化と深くかかわってきたってわけね」
さくらが理解を示すと、翔が口をとがらせて意見を述べた。
「海も忘れちゃいけないんじゃないの。なんてったって、日本は島国なんだから」
「そう思います」と心美。「魚、エビ、カニ、貝、海藻(かいそう)......海にもいろんな生き物がいます。日本人は海の幸にも恵まれてきました。これも日本が生物多様性ホットスポットだったからだと思います」
「生物多様性とかホットスポットとか、難しいことはよくわかんないけどさ、日本人は豊かな自然とともに暮らしてきたってことだろ」
ざっくりまとめる悠馬に、心美がまた眼鏡を揺らしてうなずいた。
「わたしたちにとって当たり前のことが、ほかの国の人から見たら、恵まれているのかもしれません」
「ねえ、見てよ」大雅が画面に新しい地図を表示した。「日本の生物多様性地図化プロジェクトだって。おもしろそうじゃん」
(日本の生物多様性地図化プロジェクト:https://biodiversity-map.thinknature-japan.com/)
「植物、ほ乳類、鳥類......生き物ごとに、在来種やレッドデータブック記載種(きさいしゅ)がどの辺に多いか表示されるようになっている。ためしに、淡水魚(たんすいぎょ)のレッドデータブック記載種を見てみよう。レッドデータブック記載種というのは絶滅(ぜつめつ)が心配されている生物のことだね」
「お、大阪付近が真っ赤だ」と悠馬。
「淀川(よどがわ)ですね」大雅が眼鏡に手を添えた。「淀川にはワンドがたくさんあって、イタセンパラなどの希少種が多いと聞いたことがあります」
「ワンド?」翔が首をかしげる。「なに、それ?」
「川とつながった池みたいなものだよ。自然にできる場合もあれば、人工的に作る場合もある。川みたいな流れがなくてよどんでいるから、魚や水生昆虫の生息場所として重要なんだ」
「よどんだ場所か。淀川だけに」
翔のジョークは全員にスルーされた。大雅がタブレット端末を操作した。
「次に両生類の在来種を見てみようか」そう言いながら、大雅が操作した。「在来種というのは元々そこに生息している生物のことだね」
「外来種の逆ですね」朱音が言った。「沖縄では外来種のマングースが問題を起こしているそうです」
「お!」悠馬が興味深そうにのぞき込む。「関東の近くが赤くなってるじゃん」
「拡大してみましょう」大雅が地図を拡大した。「八王子市やあきる野市の付近ですね。この辺、意外と両生類が多いんですね」
「武蔵野台地と関東山地のあいだの小高い丘だよね」さくら顔を寄せた。「いとこが八王子に住んでいるので行ったことがあるの。この辺りはわき水も多く、カエルばかりでなくサンショウウオも多いんだって。両生類にとって暮らしやすい環境だっていとこが言ってた」
悠馬が「へえ」と感心したあとで言った。「こうして見てみると、大都市の近くにも案外たくさんの生き物がいることがわかるな」
「そうなんです!」心美がいつになく大きな声を出したので、みんなが驚いて振り向いた。たちまち緊張して真っ赤になる。「あ、すみません」
「だいじょうぶ、落ち着いて」さくらが心美を励ます。「なにが、そうなんです、なの?」
「生き物が多いところというと、日本ではどうしても森や海を思い浮かべがちなんですけど、実は里山にもいろんな生き物がいるんです」
「里山ってどこにある山ですの?」
真顔で質問する朱音に、心美もまじめに対応した。
「山の名前ではありません。人が暮らす集落などに近い低い山、またそんな山に囲まれた田畑や草地、ため池、雑木林などをまとめて里山と呼びます。日常的に人の手が入った山と言ってもいいかもしれません」
「大場さんの説明を聞いていると、おれらの住んでいるS中校区も里山の条件に当てはまりそうな気がするんだけど......」
「そうなんです、そうなんです!」心美がうれしそうにうなずいた。「山の多い日本では、山のふもとまで人が暮らし、農地が広がっています。そういう場所が里山です。首都圏の郊外にも里山はたくさんあります。ここS校区も典型的な里山でした」
「それはわかりましたが、里山に生き物が多いとはどういう意味ですの?」
相変わらずゆったりした口調で、朱音が質問した。
「田んぼがあれば、オタマジャクシとかメダカとかヤゴとか、水にすむ小さな動物が集まります。畑があれば、いろんな虫たちが発生します。するとそれらの小動物や虫をねらって、ヘビやトカゲ、鳥などが集まり、今度はそれらをねらうカラスやタカ、タヌキ、キツネなどが集まります。人が手を入れ続けることで里山の環境はいつまでも変わりません。だから、そこに暮らす生き物たちも安心して子孫を残していけます。里山は生物多様性のゆりかごって呼ばれているんですよ」 「意外と身近なところに多くの生き物がすんでいるんだね。S校区も捨てたもんじゃないな」
悠馬はそう言ったが、心美はわずかに顔をくもらせた。
「でも、そんな里山が今、すごいスピードでなくなっているんです。この前、S校区でツバメのエサが少なくなってきているという話をしました。あれはこの辺も土地開発によって水田やため池がなくなってしまったからです。北原くん、以前はミズカマキリもいたんでしょ?」
いきなり心美に水を向けられ、翔はびっくりしたようだった。
「お......そ、そうだった。ミズカマキリは肉食の昆虫だから、そいつがいるってことはオタマジャクシとかヤゴとか、水のなかにほかの動物がいなくちゃならない。ミズカマキリが暮らすためには豊かな水辺が必要なんだ。オタマジャクシやヤゴは今でも探せばいると思うけど、エサが減ったりすみ家がなくなったりして、ミズカマキリは姿を消したんだと思う」
悠馬がこの前の翔の発言を思い出した。
「でも翔さあ、クマゼミとかクロアゲハは増えたって言ってなかったっけ?」
「それは間違いない。あれっ、環境は必ずしも悪くなったわけじゃないのかな......」
混乱する翔に代わって、心美が言った。
「クマゼミは元々、西日本にいたセミです。それが植木の根っこなどと一緒に幼虫が運ばれて、関東にも広がってきました。温暖化も影響しているかもしれません。クロアゲハはミカン林ができたことで増えた種です。ミカンの害虫ですからね。一見すると、大きくて見栄えのする昆虫が増えたような気がしますが、元からいた里山の昆虫は減っていると思います。それは決していいこととは呼べない気がします」
「でも、だからといって、どうしたらいいのでしょう。ボクたちの手で開発を止めるのは、さすがに難しいというか......」
悲観的な大雅と反対に、さくらは前向きな性格だった。
「ねえ、聞いて! 地元の農家の人に頼んで、S中の田んぼを作ってもらったらどうかしら。新しくできた公園の隣の空き地、昔は水田だったでしょ? 農家の人も高齢化して米作りが大変になったから、いまは放りっぱなしで草ぼうぼうだけど、頼んだら貸してくれるんじゃないかしら。ほんの少しでも田んぼができれば、消えてしまった生き物も戻ってくるかもしれないじゃない!」
「いいと思う!」「賛成です」「やりましょう!」「ミズカマキリを再び!」
悠馬と大雅と心美と翔の声がそろい、ワンテンポ遅れて朱音が「ステキですわ」と言った。
「あ、そうだ。思い出しました!」突然、心美が声を上げた。「松山さんが沖縄のお友達と会えなかった理由がわかった気がします」
「えっ?」一同、びっくりして心美を振り返った。
「松山さんは春休みに会いに行かれたんですよね?」
「そうよ」朱音がこくんとうなずいた。
「わたしたちがいつも見ている桜はソメイヨシノで、3月下旬から4月上旬に満開になりますが、沖縄の桜はカンヒザクラといって、1月下旬から2月上旬にかけて満開になります。だから、『桜の時期に会おう』という約束は、1月下旬から2月上旬の時期を指していたはずなんですよ」
「え、そうなの!」朱音が目を丸くした。「わたくし、なんておバカなんでしょう! 行きます、来年のその時期、必ずもう一度行って、なんとしても再会を果たしますとも!」
いつもおっとりしている朱音が珍(めずら)しくきっぱりと言った。
マンガ イラスト©中山ゆき/コルク
■著者紹介■
鳥飼 否宇(とりかい ひう)
福岡県生まれ。九州大学理学部生物学科卒業。編集者を経て、ミステリー作家に。2000年4月から奄美大島に在住。特定非営利活動法人奄美野鳥の会副会長。
2001年 - 『中空』で第21回横溝正史ミステリ大賞優秀作受賞。
2007年 - 『樹霊』で第7回本格ミステリ大賞候補。
2009年 - 『官能的』で第2回世界バカミス☆アワード受賞。
2009年 - 『官能的』で第62回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)候補。
2011年 - 「天の狗」(『物の怪』に収録)で第64日本推理作家協会賞(短編部門)候補。
2016年 - 『死と砂時計』で第16回本格ミステリ大賞(小説部門)受賞。
■監修■
株式会社シンク・ネイチャー
代表 久保田康裕(株式会社シンクネイチャー代表・琉球大学理学部教授)
熊本県生まれ。北海道大学農学部卒業。世界中の森林生態系を巡る長期フィールドワークと、ビッグデータやAIを活用したデータサイエンスを統合し、生物多様性の保全科学を推進する。
2014年 日本生態学会大島賞受賞、2019年 The International Association for Vegetation Science (IAVS) Editors Award受賞。日本の生物多様性地図化プロジェクト(J-BMP)(https://biodiversity-map.thinknature-japan.com)やネイチャーリスク・アラート(https://thinknature-japan.com/habitat-alert)をリリースし反響を呼ぶ。
さらに、進化生態学研究者チームで株式会社シンクネイチャーを起業し、未来社会のネイチャートランスフォーメーションをゴールにしたNafureX構想を打ち立てている。
鳥飼 否宇(とりかい ひう)
福岡県生まれ。九州大学理学部生物学科卒業。編集者を経て、ミステリー作家に。2000年4月から奄美大島に在住。特定非営利活動法人奄美野鳥の会副会長。
2001年 - 『中空』で第21回横溝正史ミステリ大賞優秀作受賞。
2007年 - 『樹霊』で第7回本格ミステリ大賞候補。
2009年 - 『官能的』で第2回世界バカミス☆アワード受賞。
2009年 - 『官能的』で第62回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)候補。
2011年 - 「天の狗」(『物の怪』に収録)で第64日本推理作家協会賞(短編部門)候補。
2016年 - 『死と砂時計』で第16回本格ミステリ大賞(小説部門)受賞。
■監修■
株式会社シンク・ネイチャー
代表 久保田康裕(株式会社シンクネイチャー代表・琉球大学理学部教授)
熊本県生まれ。北海道大学農学部卒業。世界中の森林生態系を巡る長期フィールドワークと、ビッグデータやAIを活用したデータサイエンスを統合し、生物多様性の保全科学を推進する。
2014年 日本生態学会大島賞受賞、2019年 The International Association for Vegetation Science (IAVS) Editors Award受賞。日本の生物多様性地図化プロジェクト(J-BMP)(https://biodiversity-map.thinknature-japan.com)やネイチャーリスク・アラート(https://thinknature-japan.com/habitat-alert)をリリースし反響を呼ぶ。
さらに、進化生態学研究者チームで株式会社シンクネイチャーを起業し、未来社会のネイチャートランスフォーメーションをゴールにしたNafureX構想を打ち立てている。
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