『忠臣蔵って? 四谷怪談との関係は?』
12月になると、あちこちで耳にする言葉のひとつが「忠臣蔵」。
え、聞いたことないって?
少し前までは、12月の風物詩ともいえるテレビ番組のひとつが「忠臣蔵」だったんだ。
これを観ないと年は越せない...っていう人も結構いたんじゃないかな。
せっかくだから、「忠臣蔵」とはなにか、ちょっと紹介するよ。
え、聞いたことないって?
少し前までは、12月の風物詩ともいえるテレビ番組のひとつが「忠臣蔵」だったんだ。
これを観ないと年は越せない...っていう人も結構いたんじゃないかな。
せっかくだから、「忠臣蔵」とはなにか、ちょっと紹介するよ。
忠臣蔵ってなんのこと?
ひとことで説明すると「江戸時代に起きた、主人のかたき討ち事件を元にしたドラマ」だ。
実際に起きた事件を、約50年後に人形浄瑠璃や歌舞伎の演目として上演したところ大人気になった。
そして、それが今でも映画やテレビドラマとして制作されている。
もう少し詳しく知りたい? いいね、そんなキミはきっと歴史好きだね! じゃあ、もう少しくわしく紹介しよう。
時は元禄14年(1701年)3月、場所は江戸城松之大廊下。
赤穂藩の藩主、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が、幕府での儀式などを取りまとめ役だった吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に突然斬りかかった!
この事件からすべてが始まるんだ。
当時、江戸城内での刃傷沙汰(にんじょうざた)はご法度(はっと)で、事件を起こした浅野内匠頭の切腹は間違いなし。
しかし、「喧嘩両成敗」が慣習とされていた時代のこと、たがいの話を聞いたうえで吉良上野介にもなにかしらの罰が与えられるはずだった。
ところが、吉良にはおとがめなし。これは、お祝いの日に刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭に怒った将軍の独断だったらしい。
そもそも、浅野内匠頭が吉良に切りかかったのにも理由があるはずなのに、それも聞いてもらえず、赤穂藩は「藩主切腹、赤穂浅野家の領地没収、家名断絶」というペナルティだらけ。それでは家臣たちの気が収まるはずはない。
まず、赤穂浅野家筆頭家老の大石内蔵助が中心となって浅野家再興を目指して動き出す。
「浅野家の再興がかなわない場合は吉良に討ち入り、浅野内匠頭のかたきを討つ」として幕府に対しても交渉を重ねたのだけど、事件から約1年4か月後の7月、浅野家の再興は果たせないことが決まる。これで討ち入りが決定したんだ。
そして、浅野内匠頭の命日である12月14日、「かたき討ち」の意思を持って集まった47人の部下たちが吉良家に討ち入り、吉良上野介を討ち取った!
そして主人のかたき討ちを果たした彼らは全員が切腹。 ...これが元になった「元禄赤穂事件」だ。
実際に起きた事件を、約50年後に人形浄瑠璃や歌舞伎の演目として上演したところ大人気になった。
そして、それが今でも映画やテレビドラマとして制作されている。
もう少し詳しく知りたい? いいね、そんなキミはきっと歴史好きだね! じゃあ、もう少しくわしく紹介しよう。
時は元禄14年(1701年)3月、場所は江戸城松之大廊下。
赤穂藩の藩主、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が、幕府での儀式などを取りまとめ役だった吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に突然斬りかかった!
この事件からすべてが始まるんだ。
当時、江戸城内での刃傷沙汰(にんじょうざた)はご法度(はっと)で、事件を起こした浅野内匠頭の切腹は間違いなし。
しかし、「喧嘩両成敗」が慣習とされていた時代のこと、たがいの話を聞いたうえで吉良上野介にもなにかしらの罰が与えられるはずだった。
ところが、吉良にはおとがめなし。これは、お祝いの日に刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭に怒った将軍の独断だったらしい。
そもそも、浅野内匠頭が吉良に切りかかったのにも理由があるはずなのに、それも聞いてもらえず、赤穂藩は「藩主切腹、赤穂浅野家の領地没収、家名断絶」というペナルティだらけ。それでは家臣たちの気が収まるはずはない。
まず、赤穂浅野家筆頭家老の大石内蔵助が中心となって浅野家再興を目指して動き出す。
「浅野家の再興がかなわない場合は吉良に討ち入り、浅野内匠頭のかたきを討つ」として幕府に対しても交渉を重ねたのだけど、事件から約1年4か月後の7月、浅野家の再興は果たせないことが決まる。これで討ち入りが決定したんだ。
そして、浅野内匠頭の命日である12月14日、「かたき討ち」の意思を持って集まった47人の部下たちが吉良家に討ち入り、吉良上野介を討ち取った!
そして主人のかたき討ちを果たした彼らは全員が切腹。 ...これが元になった「元禄赤穂事件」だ。
四谷怪談と忠臣蔵の関係は?
突然だけど鶴屋南北という有名な作家が書いた「四谷怪談」は知っている?
「お岩さん」という日本一有名な幽霊が登場する、これも江戸時代に生まれた話だ。
「四谷怪談」のストーリーをざっくり紹介すると、「お岩という女性が伊右衛門という男性と結婚するが、別の女性に心を奪われた伊右衛門はお岩を毒殺。幽霊となったお岩が復讐する」というもの。
これが一体どうやって「忠臣蔵」と関係するのか?
なんと、伊右衛門は赤穂藩の藩士だったんだ。「四谷怪談」は「忠臣蔵」の世界観を使った外伝として書かれた話なんだよ。
伊右衛門は赤穂藩の藩士、そして伊右衛門がお岩と出会った後で惹かれた相手は、吉良上野介の家臣の孫...という設定で、現代でも何度か映画化されている。
忠臣蔵のストーリーを知ったうえで改めて四谷怪談のあらすじを考えると、どう絡んでいくのか気になるでしょ?
四谷怪談が上演された江戸時代の人たちも同じ気持ちだったのかもしれない。
当時は「忠臣蔵」と「四谷怪談」の関係がわかるように、交互に上演されたらしく、「忠臣蔵」の事件からは100年以上たっているにもかかわらず、大盛況だったという話だよ。
「お岩さん」という日本一有名な幽霊が登場する、これも江戸時代に生まれた話だ。
「四谷怪談」のストーリーをざっくり紹介すると、「お岩という女性が伊右衛門という男性と結婚するが、別の女性に心を奪われた伊右衛門はお岩を毒殺。幽霊となったお岩が復讐する」というもの。
これが一体どうやって「忠臣蔵」と関係するのか?
なんと、伊右衛門は赤穂藩の藩士だったんだ。「四谷怪談」は「忠臣蔵」の世界観を使った外伝として書かれた話なんだよ。
伊右衛門は赤穂藩の藩士、そして伊右衛門がお岩と出会った後で惹かれた相手は、吉良上野介の家臣の孫...という設定で、現代でも何度か映画化されている。
忠臣蔵のストーリーを知ったうえで改めて四谷怪談のあらすじを考えると、どう絡んでいくのか気になるでしょ?
四谷怪談が上演された江戸時代の人たちも同じ気持ちだったのかもしれない。
当時は「忠臣蔵」と「四谷怪談」の関係がわかるように、交互に上演されたらしく、「忠臣蔵」の事件からは100年以上たっているにもかかわらず、大盛況だったという話だよ。
お岩さんは実在した!? お墓とお岩稲荷
日本の怪談のいちばん有名な作品ともいわれる「四谷怪談」だけど、その主人公でもあるお岩さんは実在したという説がある。
東京には「於岩稲荷田宮神社」という神社があって、映画や演劇などで「四谷怪談」に関わるときには、必ずお参りするらしい。
この神社を継いでいる田宮家には昔「お岩」といわれる女性がいたらしいけれど、その人は四谷怪談のストーリーとは関係なく、ドロドロの人間関係を描いたストーリーは鶴屋南北の創作であるらしい。
今では「於岩稲荷田宮神社」は、夫婦円満のご利益があるといわれているよ。 江戸時代に起きた「赤穂浪士の討ち入り」のような印象的な事件と、町の中で起こるさまざまな事件が結びついて、たくさんの人の心を奪うストーリーが誕生したことは確か。
そして、それが現代まで続いてみんなを楽しませているというのは、おもしろいよね。興味を持ったきみは、ぜひ「忠臣蔵」と「四谷怪談」とセットで調べてみては?
東京には「於岩稲荷田宮神社」という神社があって、映画や演劇などで「四谷怪談」に関わるときには、必ずお参りするらしい。
この神社を継いでいる田宮家には昔「お岩」といわれる女性がいたらしいけれど、その人は四谷怪談のストーリーとは関係なく、ドロドロの人間関係を描いたストーリーは鶴屋南北の創作であるらしい。
今では「於岩稲荷田宮神社」は、夫婦円満のご利益があるといわれているよ。 江戸時代に起きた「赤穂浪士の討ち入り」のような印象的な事件と、町の中で起こるさまざまな事件が結びついて、たくさんの人の心を奪うストーリーが誕生したことは確か。
そして、それが現代まで続いてみんなを楽しませているというのは、おもしろいよね。興味を持ったきみは、ぜひ「忠臣蔵」と「四谷怪談」とセットで調べてみては?
忠臣蔵に興味を持ったキミにぴったりな仕事
あちこちに残る歴史の記録などに興味を持ったら、博物館などで活躍する「学芸員」の仕事を調べてみよう。
「今回のキーワードでオリジナルの『外伝』が作れちゃいそう!」っていうキミは「作家」がピッタリ。鶴屋南北に続け!
映画や演劇に興味があるというキミは「俳優」がおすすめだね。
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