『鳥飼否宇「生徒会書記はときどき饒舌」第9話 ゴーストカー事件(前編)』
春休みのある日、S中生徒会メンバーは星野達男による田んぼ作りの作業を見学に来ていた。生徒会メンバーが中心となって。この地で古くから暮らす元農家の星野の水田を復活させることになったのだ。秋にメンバーたちが草刈りをした土地には、冬の間にまた草が生えてきていた。星野は耕運機を使って、草ごと土を掘り起こしていく。
「じいちゃんが今やってるのは、田起こしっていうんだって」
そう言ったのは達男の孫で、今度2年生になる星野虎太郎だった。虎太郎は生徒会のメンバーではなかったが、副会長の佐野悠馬と仲がよかったため、よく生徒会室に遊びに来ていた。
「畑じゃなくて田んぼなんだから、耕さなくてもいいんじゃないの?」
庶務の北原翔が放った疑問に答えたのは、S中一の秀才と呼び名の高い会計の浜松大雅である。
「ああやって土を耕しながら、肥料を土に混ぜ、地中にあった土を空気に触れさせているんだ。土が空気を含んでいたほうが、稲の生長がよくなるらしい」
「ふうん」
達男の作業を見守っているS中メンバーの後ろから、突然声が聞こえてきた。
「悠馬じゃないか、こんなところで何やってるんだ?」
一同が振り返ると、佐野悠馬によく似た顔の年上の青年が、自動車の運転席で手を振っていた。悠馬の4歳年上の兄、佐野壮馬だった。
「あっ、兄貴! そっちこそなにしてんだよ」
「運転の練習中」
翔が近づいてきて、自動車を眺めまわした。
「かっこいい! 新車じゃないですか! 壮馬さん、車買ったんですか。それにしても、静かな車ですね。近づいてきたのにまったく気づきませんでした」
「まさか、ぼくのじゃないよ。家の車が古くなったので、この前おやじが買い換えたんだ。大学受験が終わったあと時間があったから、合宿に行って運転免許を取ったんだ。だから今は練習中。この車、電気自動車だから、静かなんだよ」
「これ、電気自動車なんですね。へえ、ちゃんと見るの、初めてかもしれません」
大雅が眼鏡に手を添えて車をためつすがめつ眺めていると、生徒会長の岡村さくらが満面の笑みを浮かべてやってきた。
「壮馬さん、T大に合格されたそうですね。おめでとうございます! さすがですね。尊敬しちゃいます」
キラキラ輝く大きな目でさくらに見つめられ、壮馬が照れた。
「いや、それほどでも。悠馬から聞いたけど、岡村さんもT大を目指しているんだってね。ぜひ、がんばってね」
「はい、ありがとうございます。大学受験の前に、来年高校受験がありますけど」
「ちょっと気が早かったかな。まずは、志望高校突破を目指さなきゃだね」
楽しそうに話す二人の仲を裂くかのように、翔が話を戻した。
「やっぱりこれから買うんだったら、電気自動車になるんですかね?」
「日本政府は2035年にガソリン車の販売を中止すると打ち出しているからね。電気自動車には限らなくても、エコカー化が進むのは間違いないだろうね」
「あの......エコカーと電気自動車は違うんですか?」
さくらが恥じるように小さな声で質問をした。それに答えたのは壮馬ではなく、大雅だった。
「ハイブリッドカーってあるじゃないですか。エンジンとモーターの両方を持った車。あれもエコカーですよね?」
「そうだね」壮馬がうなずいた。「エコカーというのは低公害車のこと。ガソリンなどの化石燃料を燃やすと、二酸化炭素や窒素化合物などの大気汚染物質が出る。
その排出量を抑えたのがエコカーだ。
ガソリン車に比べるとハイブリッドカーのほうが汚染物質の排出量は抑えられるから、エコカーと言っていいだろう。
ハイブリッドカーのバッテリーに充電して利用できるようにしたプラグインハイブリッドカー、燃料電池を使って発電する燃料電池車、蓄電池に充電した電気を使う電気自動車など、エコカーにはいろんな種類があるんだけど、代表的なのはHVと呼ばれるハイブリッドカーと、EVと呼ばれる電気自動車になるかな」
「わかりました」さくらがうなずいた。「電気自動車はふつうのガソリン車と違ってどんなメリットがあるんですか」
「HVはエンジンとモーターの併用だから少しはガソリンを使うけど、EVはモーターだけなのでまったくガソリンを使わない。排気ガスがなく大気汚染の心配がないのが、一番のメリットかな。さっき北原くんが言っていたように、音が静かなのもメリットかな。でも、メリットばかりではなく、デメリットもある」
メンバーの背後でずっとおとなしくしていた大場心美が、静かに手を挙げた。
「どんなデメリットがあるんですか?」
「まずは価格が高いこと。今は政府がいろんな補助金を出してくれているけど、それでもガソリン車に比べるとかなり高い。それから、EVに充電するのには時間がかかる。ガソリンは満タンにするのに数分ですんでしまうけど、充電だともっと長く時間がかかるし、そもそも充電スタンドの数がまだ全然足りない。地方なんかでは充電する場所を探すだけで大変じゃないかな」
壮馬の話にうなずいて、大雅が口を開いた。
「ガソリン車に比べると、電気自動車は走行時間が短いと聞いたことがあります」
「それもデメリットと言えるだろうね。日本では現在のところ、エコカーといえばEVよりもHVのほうがメインだと思う。EVがもっと普及すれば、価格も安くなるだろうし、充電スタンドも増えるはずだ。バッテリーの性能がよくなれば、走行距離も伸びるに違いない。国が本気で対策を推し進めれば、一気にEV化が進むかもしれない」
「そうなんですか。でも......」
心美が何か言いたそうだった。
「ん、どうかした?」
壮馬が心美に水を向けようとしたが、なにか思い出した様子の悠馬にさえぎられてしまった。
「そうだ! このまえ、幽霊トンネルで怖い思いをしたんだ。なっ、兄貴」
「ああ、そうだったな。不思議な体験だった」
壮馬が認めると、翔が身を乗り出した。
「幽霊トンネルって、夜中に髪の長い女の幽霊が出るっていうあそこだろ? よく、そんな場所に行ったな」
幽霊トンネルと呼ばれているのは、S中のあるS市と隣のK村を結ぶ県道上にある長さ2キロメートルほどのトンネルだった。県道は人口がわずかしかいないK村で行き止まりであったため、そのトンネルはいつも交通量が少なく、完成してから数十年が経って昼間でも薄暗かった。そのため本当かどうかわからないが、夜中になるとトンネル内で交通事故死した女性の幽霊が出ると噂され、地元では有名な心霊スポットとなっていた。
「まだ運転に自信がないから、練習するには交通量の少ない道のほうが安心だと思ったんだ。昼間だったしね。そしたら......」
壮馬はその日、悠馬を助手席に乗せて、車の運転練習を兼ねてK村までドライブをすることにした。目指すはK村の奥にひっそりとたたずむK湖。自然豊かなK村で最も有名な観光地ではあったが、特に魅力のある観光施設があるわけでもなく、わざわざそこを目指してやってくる客は多くなかった。
当日は一日中曇りの予報だったが、自宅から車で出発した直後にぽつぽつと雨が降りはじめ、S村に近づくにつれて勢いを増してきた。まだ運転に慣れない壮馬にとって、雨の中のドライブはハードルが高かった。ワイパーでフロントガラスに落ちた雨粒をぬぐいながら、制限速度の60キロを大きく下回る時速40キロの安全運転で、S村へ向かった。
壮馬の運転するEVが幽霊トンネルに近づいたとき、バックミラーにシルバーのワンボックスカーが映っているのが見えた。壮馬の運転が遅いのでいらいらしているのか、車間距離がずいぶん狭かった。
「なんか後ろの車がこの車をあおっているみたいだ」
壮馬のほおがこわばっているのを見て、悠馬も心配になった。振り返ると、ワンボックスカーがすぐ後ろまで迫っている。フィッシングベストを着た若者が、いらだったような顔で運転しており、後部座席には大きなたも網が積んであるのが確認できた。こちらの車をいかくしようとしているのか、その車は小刻みに揺れていた。近かったのでナンバープレートの数字が「1164」であることまで確認できた。
すぐにEVを道の端に停めて道を譲ればよかったのだが、そのとき壮馬は軽いパニックにおちいっており、思考が正常に働いていなかった。そうこうするうちにEVは幽霊トンネルに入ってしまった。「1164」のワンボックスカーも後に続いた。トンネル内では車を停止することはできない。こうなったらトンネルを出るまで、後ろにワンボックスカーをしたがえて走行するしかない。壮馬はそう覚悟を決めて深呼吸をした。
トンネルに入ったことは壮馬にとってはラッキーだった。雨を気にせずに運転できるからだ。壮馬は気持ちを落ち着かせて、少しずつアクセルを踏んだ。まもなくEVは時速50キロに達した。そのままアクセルを踏み続けたので、やがてスピードは制限速度の60キロにあがった。初心者の壮馬は余裕がなかった。ただ前方だけを見て、懸命に運転した。
ふと気になってバックミラーに目をやったのは、トンネルを半分ほど通過したころだった。意外なことにワンボックスカーの姿はなかった。どうやら壮馬を追跡することをあきらめたようだ。壮馬は一瞬ほっとして、弟に話しかけた。
「後ろの車を振り切ったみたいだ」
悠馬も後ろを振り返り、ワンボックスカーの姿がないことを確認した。
「ほんとだ、追っかけてこない。トンネルに入ったときはいたはずなのに、どうしたんだろう?」
わけのわからないまま前方へ視線を戻した悠馬は、次の瞬間、信じられないものを目にした。なんとシルバーのワンボックスカーが壮馬のEVの前をのろのろと運転しているのだ。スピードが遅いので、すぐにワンボックスカーに追いついてしまった。
「兄貴、前の車のナンバー......」
悠馬が声を震わせる前に、壮馬も気づいていた。前を走るシルバーのワンボックスカーのナンバーは、ほかでもない「1164」だったのだ。しかも後部座席に大きなたも網が見える。
「いつ、どうやって抜かれたんだ?」
壮馬の口からもれたことばは、弟への質問というよりひとりごとだった。ありえない事態に直面し、悠馬の顔は青ざめていた。
少しの間2台は連なって走っていたが、やがて前のワンボックスカーがスピードを上げた。何が何だかわからないまま運転していた壮馬のEVはまもなく幽霊トンネルを出た。トンネルを出ると雨はますます強くなっていた。再びワイパーを動かし、慎重に安全運転を心がけた。それ以降、「1164」のワンボックスカーに出合うことはなかった。
「ぞっとしないか。これがおれたちの恐怖体験、名づけてゴーストカー事件さ」
両肩を抱くようにして悠馬が言った。
「じいちゃんが今やってるのは、田起こしっていうんだって」
そう言ったのは達男の孫で、今度2年生になる星野虎太郎だった。虎太郎は生徒会のメンバーではなかったが、副会長の佐野悠馬と仲がよかったため、よく生徒会室に遊びに来ていた。
「畑じゃなくて田んぼなんだから、耕さなくてもいいんじゃないの?」
庶務の北原翔が放った疑問に答えたのは、S中一の秀才と呼び名の高い会計の浜松大雅である。
「ああやって土を耕しながら、肥料を土に混ぜ、地中にあった土を空気に触れさせているんだ。土が空気を含んでいたほうが、稲の生長がよくなるらしい」
「ふうん」
達男の作業を見守っているS中メンバーの後ろから、突然声が聞こえてきた。
「悠馬じゃないか、こんなところで何やってるんだ?」
一同が振り返ると、佐野悠馬によく似た顔の年上の青年が、自動車の運転席で手を振っていた。悠馬の4歳年上の兄、佐野壮馬だった。
「あっ、兄貴! そっちこそなにしてんだよ」
「運転の練習中」
翔が近づいてきて、自動車を眺めまわした。
「かっこいい! 新車じゃないですか! 壮馬さん、車買ったんですか。それにしても、静かな車ですね。近づいてきたのにまったく気づきませんでした」
「まさか、ぼくのじゃないよ。家の車が古くなったので、この前おやじが買い換えたんだ。大学受験が終わったあと時間があったから、合宿に行って運転免許を取ったんだ。だから今は練習中。この車、電気自動車だから、静かなんだよ」
「これ、電気自動車なんですね。へえ、ちゃんと見るの、初めてかもしれません」
大雅が眼鏡に手を添えて車をためつすがめつ眺めていると、生徒会長の岡村さくらが満面の笑みを浮かべてやってきた。
「壮馬さん、T大に合格されたそうですね。おめでとうございます! さすがですね。尊敬しちゃいます」
キラキラ輝く大きな目でさくらに見つめられ、壮馬が照れた。
「いや、それほどでも。悠馬から聞いたけど、岡村さんもT大を目指しているんだってね。ぜひ、がんばってね」
「はい、ありがとうございます。大学受験の前に、来年高校受験がありますけど」
「ちょっと気が早かったかな。まずは、志望高校突破を目指さなきゃだね」
楽しそうに話す二人の仲を裂くかのように、翔が話を戻した。
「やっぱりこれから買うんだったら、電気自動車になるんですかね?」
「日本政府は2035年にガソリン車の販売を中止すると打ち出しているからね。電気自動車には限らなくても、エコカー化が進むのは間違いないだろうね」
「あの......エコカーと電気自動車は違うんですか?」
さくらが恥じるように小さな声で質問をした。それに答えたのは壮馬ではなく、大雅だった。
「ハイブリッドカーってあるじゃないですか。エンジンとモーターの両方を持った車。あれもエコカーですよね?」
「そうだね」壮馬がうなずいた。「エコカーというのは低公害車のこと。ガソリンなどの化石燃料を燃やすと、二酸化炭素や窒素化合物などの大気汚染物質が出る。
その排出量を抑えたのがエコカーだ。
ガソリン車に比べるとハイブリッドカーのほうが汚染物質の排出量は抑えられるから、エコカーと言っていいだろう。
ハイブリッドカーのバッテリーに充電して利用できるようにしたプラグインハイブリッドカー、燃料電池を使って発電する燃料電池車、蓄電池に充電した電気を使う電気自動車など、エコカーにはいろんな種類があるんだけど、代表的なのはHVと呼ばれるハイブリッドカーと、EVと呼ばれる電気自動車になるかな」
「わかりました」さくらがうなずいた。「電気自動車はふつうのガソリン車と違ってどんなメリットがあるんですか」
「HVはエンジンとモーターの併用だから少しはガソリンを使うけど、EVはモーターだけなのでまったくガソリンを使わない。排気ガスがなく大気汚染の心配がないのが、一番のメリットかな。さっき北原くんが言っていたように、音が静かなのもメリットかな。でも、メリットばかりではなく、デメリットもある」
メンバーの背後でずっとおとなしくしていた大場心美が、静かに手を挙げた。
「どんなデメリットがあるんですか?」
「まずは価格が高いこと。今は政府がいろんな補助金を出してくれているけど、それでもガソリン車に比べるとかなり高い。それから、EVに充電するのには時間がかかる。ガソリンは満タンにするのに数分ですんでしまうけど、充電だともっと長く時間がかかるし、そもそも充電スタンドの数がまだ全然足りない。地方なんかでは充電する場所を探すだけで大変じゃないかな」
壮馬の話にうなずいて、大雅が口を開いた。
「ガソリン車に比べると、電気自動車は走行時間が短いと聞いたことがあります」
「それもデメリットと言えるだろうね。日本では現在のところ、エコカーといえばEVよりもHVのほうがメインだと思う。EVがもっと普及すれば、価格も安くなるだろうし、充電スタンドも増えるはずだ。バッテリーの性能がよくなれば、走行距離も伸びるに違いない。国が本気で対策を推し進めれば、一気にEV化が進むかもしれない」
「そうなんですか。でも......」
心美が何か言いたそうだった。
「ん、どうかした?」
壮馬が心美に水を向けようとしたが、なにか思い出した様子の悠馬にさえぎられてしまった。
「そうだ! このまえ、幽霊トンネルで怖い思いをしたんだ。なっ、兄貴」
「ああ、そうだったな。不思議な体験だった」
壮馬が認めると、翔が身を乗り出した。
「幽霊トンネルって、夜中に髪の長い女の幽霊が出るっていうあそこだろ? よく、そんな場所に行ったな」
幽霊トンネルと呼ばれているのは、S中のあるS市と隣のK村を結ぶ県道上にある長さ2キロメートルほどのトンネルだった。県道は人口がわずかしかいないK村で行き止まりであったため、そのトンネルはいつも交通量が少なく、完成してから数十年が経って昼間でも薄暗かった。そのため本当かどうかわからないが、夜中になるとトンネル内で交通事故死した女性の幽霊が出ると噂され、地元では有名な心霊スポットとなっていた。
「まだ運転に自信がないから、練習するには交通量の少ない道のほうが安心だと思ったんだ。昼間だったしね。そしたら......」
壮馬はその日、悠馬を助手席に乗せて、車の運転練習を兼ねてK村までドライブをすることにした。目指すはK村の奥にひっそりとたたずむK湖。自然豊かなK村で最も有名な観光地ではあったが、特に魅力のある観光施設があるわけでもなく、わざわざそこを目指してやってくる客は多くなかった。
当日は一日中曇りの予報だったが、自宅から車で出発した直後にぽつぽつと雨が降りはじめ、S村に近づくにつれて勢いを増してきた。まだ運転に慣れない壮馬にとって、雨の中のドライブはハードルが高かった。ワイパーでフロントガラスに落ちた雨粒をぬぐいながら、制限速度の60キロを大きく下回る時速40キロの安全運転で、S村へ向かった。
壮馬の運転するEVが幽霊トンネルに近づいたとき、バックミラーにシルバーのワンボックスカーが映っているのが見えた。壮馬の運転が遅いのでいらいらしているのか、車間距離がずいぶん狭かった。
「なんか後ろの車がこの車をあおっているみたいだ」
壮馬のほおがこわばっているのを見て、悠馬も心配になった。振り返ると、ワンボックスカーがすぐ後ろまで迫っている。フィッシングベストを着た若者が、いらだったような顔で運転しており、後部座席には大きなたも網が積んであるのが確認できた。こちらの車をいかくしようとしているのか、その車は小刻みに揺れていた。近かったのでナンバープレートの数字が「1164」であることまで確認できた。
すぐにEVを道の端に停めて道を譲ればよかったのだが、そのとき壮馬は軽いパニックにおちいっており、思考が正常に働いていなかった。そうこうするうちにEVは幽霊トンネルに入ってしまった。「1164」のワンボックスカーも後に続いた。トンネル内では車を停止することはできない。こうなったらトンネルを出るまで、後ろにワンボックスカーをしたがえて走行するしかない。壮馬はそう覚悟を決めて深呼吸をした。
トンネルに入ったことは壮馬にとってはラッキーだった。雨を気にせずに運転できるからだ。壮馬は気持ちを落ち着かせて、少しずつアクセルを踏んだ。まもなくEVは時速50キロに達した。そのままアクセルを踏み続けたので、やがてスピードは制限速度の60キロにあがった。初心者の壮馬は余裕がなかった。ただ前方だけを見て、懸命に運転した。
ふと気になってバックミラーに目をやったのは、トンネルを半分ほど通過したころだった。意外なことにワンボックスカーの姿はなかった。どうやら壮馬を追跡することをあきらめたようだ。壮馬は一瞬ほっとして、弟に話しかけた。
「後ろの車を振り切ったみたいだ」
悠馬も後ろを振り返り、ワンボックスカーの姿がないことを確認した。
「ほんとだ、追っかけてこない。トンネルに入ったときはいたはずなのに、どうしたんだろう?」
わけのわからないまま前方へ視線を戻した悠馬は、次の瞬間、信じられないものを目にした。なんとシルバーのワンボックスカーが壮馬のEVの前をのろのろと運転しているのだ。スピードが遅いので、すぐにワンボックスカーに追いついてしまった。
「兄貴、前の車のナンバー......」
悠馬が声を震わせる前に、壮馬も気づいていた。前を走るシルバーのワンボックスカーのナンバーは、ほかでもない「1164」だったのだ。しかも後部座席に大きなたも網が見える。
「いつ、どうやって抜かれたんだ?」
壮馬の口からもれたことばは、弟への質問というよりひとりごとだった。ありえない事態に直面し、悠馬の顔は青ざめていた。
少しの間2台は連なって走っていたが、やがて前のワンボックスカーがスピードを上げた。何が何だかわからないまま運転していた壮馬のEVはまもなく幽霊トンネルを出た。トンネルを出ると雨はますます強くなっていた。再びワイパーを動かし、慎重に安全運転を心がけた。それ以降、「1164」のワンボックスカーに出合うことはなかった。
「ぞっとしないか。これがおれたちの恐怖体験、名づけてゴーストカー事件さ」
両肩を抱くようにして悠馬が言った。
マンガ イラスト©中山ゆき/コルク
■著者紹介■
鳥飼 否宇(とりかい ひう)
福岡県生まれ。九州大学理学部生物学科卒業。編集者を経て、ミステリー作家に。2000年4月から奄美大島に在住。特定非営利活動法人奄美野鳥の会副会長。
2001年 - 『中空』で第21回横溝正史ミステリ大賞優秀作受賞。
2007年 - 『樹霊』で第7回本格ミステリ大賞候補。
2009年 - 『官能的』で第2回世界バカミス☆アワード受賞。
2009年 - 『官能的』で第62回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)候補。
2011年 - 「天の狗」(『物の怪』に収録)で第64日本推理作家協会賞(短編部門)候補。
2016年 - 『死と砂時計』で第16回本格ミステリ大賞(小説部門)受賞。
■監修■
株式会社シンク・ネイチャー
代表 久保田康裕(株式会社シンクネイチャー代表・琉球大学理学部教授)
熊本県生まれ。北海道大学農学部卒業。世界中の森林生態系を巡る長期フィールドワークと、ビッグデータやAIを活用したデータサイエンスを統合し、生物多様性の保全科学を推進する。
2014年 日本生態学会大島賞受賞、2019年 The International Association for Vegetation Science (IAVS) Editors Award受賞。日本の生物多様性地図化プロジェクト(J-BMP)(https://biodiversity-map.thinknature-japan.com)やネイチャーリスク・アラート(https://thinknature-japan.com/habitat-alert)をリリースし反響を呼ぶ。
さらに、進化生態学研究者チームで株式会社シンクネイチャーを起業し、未来社会のネイチャートランスフォーメーションをゴールにしたNafureX構想を打ち立てている。
鳥飼 否宇(とりかい ひう)
福岡県生まれ。九州大学理学部生物学科卒業。編集者を経て、ミステリー作家に。2000年4月から奄美大島に在住。特定非営利活動法人奄美野鳥の会副会長。
2001年 - 『中空』で第21回横溝正史ミステリ大賞優秀作受賞。
2007年 - 『樹霊』で第7回本格ミステリ大賞候補。
2009年 - 『官能的』で第2回世界バカミス☆アワード受賞。
2009年 - 『官能的』で第62回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)候補。
2011年 - 「天の狗」(『物の怪』に収録)で第64日本推理作家協会賞(短編部門)候補。
2016年 - 『死と砂時計』で第16回本格ミステリ大賞(小説部門)受賞。
■監修■
株式会社シンク・ネイチャー
代表 久保田康裕(株式会社シンクネイチャー代表・琉球大学理学部教授)
熊本県生まれ。北海道大学農学部卒業。世界中の森林生態系を巡る長期フィールドワークと、ビッグデータやAIを活用したデータサイエンスを統合し、生物多様性の保全科学を推進する。
2014年 日本生態学会大島賞受賞、2019年 The International Association for Vegetation Science (IAVS) Editors Award受賞。日本の生物多様性地図化プロジェクト(J-BMP)(https://biodiversity-map.thinknature-japan.com)やネイチャーリスク・アラート(https://thinknature-japan.com/habitat-alert)をリリースし反響を呼ぶ。
さらに、進化生態学研究者チームで株式会社シンクネイチャーを起業し、未来社会のネイチャートランスフォーメーションをゴールにしたNafureX構想を打ち立てている。
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